東京都あきる野市での葬儀・家族葬は
お任せください。
各式場に関するお問合せは365日24時間お受けいたしております。ご葬儀に関しての不安、ご不明な点などもお気軽にお問合せください。専任スタッフが丁寧にお答え致します。
コムウェルの葬儀が選ばれる理由
創業43年、ご葬儀実績5万件超えの 安心と信頼
昭和47年6月の創業以来、一都三県を中心に、「お客様の哀しみを私たちの悲しみとする」という想いを胸にご葬儀のお手伝いをしてまいりました。累計5万件以上のご葬儀実績は、お客様からの信頼と安心の証です。
必要なものは全て 葬儀プランに予め含めています
コムウェルの葬儀プランには、「本来必ず必要になるもの」が最初から全て含まれています。プランに含まれているお料理や返礼品、利用式場などはお客様の要望により、自由に変更することも可能です。
1人の担当者が事前のご相談から アフターフォローまで担当
「お客様の哀しみを私たちの悲しみとする」という想いのもと、コムウェルでは1人の担当者がお客様のご担当として寄り添うことを重視しています。事前のご相談からアフターフォローまで、「顔が見える安心感」を大切にしています。
あきる野市のおすすめ斎場・葬儀場
ひので斎場
- 住所
- 東京都西多摩郡日の出町大字平井3092
- TEL
- 0120-225-940
- アクセス
- JR五日市線「武蔵五日市」駅もしくは青梅線「青梅」駅よりタクシー
- 駐車場
- 63台
あきる野市・日の出町・檜原村・奥多摩町の組合が運営する公営斎場です。
故人様かそのご家族様がいずれかの市町村にお住まいなら、安価で使用できます。
火葬場併設で、移動の際の車輌費用(マイクロバスなど)がかかりません。
あきる野市の斎場・葬儀場
ひので斎場
- 住所
- 東京都西多摩郡日の出町大字平井3092
- TEL
- 0120-225-940
- アクセス
- JR五日市線「武蔵五日市」駅もしくは青梅線「青梅」駅よりタクシー
- 駐車場
- 63台
あきる野市・日の出町・檜原村・奥多摩町の組合が運営する公営斎場です。
故人様かそのご家族様がいずれかの市町村にお住まいなら、安価で使用できます。
火葬場併設で、移動の際の車輌費用(マイクロバスなど)がかかりません。
地蔵院 西山園
- 住所
- 東京都あきる野市雨間1105-4
- TEL
- 0120-225-940
- アクセス
- JR五日市線「東秋留駅」より徒歩20分
- 駐車場
- 50台
地蔵院 西山園は東京都あきる野市雨間にある寺院の貸式場です。
地蔵院境内の植物は四季を通じて表情を変える、東京都の天然記念物の一つカゴノキ、あきる野市の天然記念物のカヤがあるなど、観光スポットにもなっています。
地蔵院 西山園の最寄り駅は、JR武蔵五日市線の東秋留駅から徒歩約20分です。
地蔵院 西山園の規模としては60席前後になります。家族葬から一般の葬儀まで執り行う事が可能です。
宿泊施設もあるため、宿泊も可能です。
宝清寺 たちばな会館
- 住所
- 東京都あきる野市小川101
- TEL
- 0120-225-940
- アクセス
- JR五日市線「東秋留駅」より徒歩10分
- 駐車場
- 40台
宝清寺 たちばな会館は東京都あきる野市にある葬儀式場です。
こちらの施設は約400年前に創建されたと言われている由緒ある宝清寺の中に建設されています。
式場内の席数は80席、家族葬を初め一般葬など執り行う事が可能になっています。
こちらの施設は40台分の駐車スペースや宿泊施設を用意しており、葬儀に参列される方もお車で訪れる事が可能です。
JR武蔵五日市線の東秋留駅が最寄り駅で、駅からは徒歩約10分、電車を利用して参列して頂くお客様にも便利な環境に位置しています。
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あきる野市の葬儀・葬式について
身内だけのシンプルな葬儀・葬式で済ませる傾向に
あきる野市は行政として子育て支援を積極的に行っている日本でも有数の自治体である事もあり、子育て世代の共働きのご夫婦が多く暮らしている事情から家族葬など身内だけのシンプルな葬儀を実施する方が多い傾向にあります。
そのような需要を鑑み、弊社では家族葬向けの施設の整備やプランの提供を実施しています。
さらにシンプルな一日葬や火葬式も
あきる野市ではお仕事で忙しい方が増えている昨今の状況や、従来から存在している形式にはこだわらないという特に若い世代の方の時代と共に変化する考え方もあり、一日で全ての行事を終わらせる一日葬や、通夜と告別式を省略して納棺と火葬のみを行う火葬式を行うご家族も増えています。
どのような形式で葬儀を執り行うにしても、心を込めて故人を偲び送り出したいものです。
あきる野市の歴史について
江戸時代:炭の生産が盛んだった!江戸時代には、炭の生産が非常に盛んな地域として知られていました。
当時、江戸の街で消費される炭が急激に増えて炭の需要が一気に高まりました。それによって、炭が主要な取引商品となって市の規模が大きくなったのです。
明治時代:神奈川県から東京府へ!管轄が移動
あきる野市はもともと神奈川県の管轄だったのですが、明治26年に属している多摩地域が神奈川県から東京府に移管となることが決まりました。そのことをきっかけに、あきる野市も神奈川県から東京府へ管轄が移動しました。
昭和時代:あきる野市の前身、秋川市と五日市町が誕生
昭和時代に、前身である秋川市と五日市町が誕生しています。まず1955年に五日市町、増戸村、戸倉村、小宮村が合併して五日市町が発足、1972年に秋多町が市制施行・改称して秋川市が発足しています。その後、1995年に秋川市と五日市町が合併してあきる野市が発足しました。